御手杵の槍 公開前資料

御手杵の槍
 松平家、大久保の屋敷に保管されていた御手杵の槍は、昭和20年5月の空襲により灰燼に帰した。

【Wikiペディアより】
 下総国結城の大名・結城晴朝が作らせ、その養嗣子・結城秀康(実父・徳川家康)に伝わり、秀康の五男で結城氏の名跡を継いだ直基の子孫、松平大和守家(前橋・川越松平家)が受け継いだ。同家の象徴として、その名にちなんだ手杵の形を極端にデフォルメした巨大な鞘が作られ、馬印として参勤交代では先頭にあった。熊毛で覆われた高さ5尺(150cm)、直径1尺5寸(45cm)の大きさ、並はずれた重量であり重量は6貫目(22.5kg)あったと伝わる。道中で雨が降ると水を吸って10貫目(37.5kg)を越え、普通の人間にとっては運ぶことも大変だったといわれる。松平家には、御手杵の鞘を抜くと雪が降るという伝承があった。

【越前松平家の分枝】
 越前松平家は分家が多く、越前松平家の大名は秀康の諸子から兄弟順に津山松平家、福井松平家、松江松平家、前橋松平家、明石松平家の五家が分かれ、さらに福井藩から糸魚川藩、松江藩から広瀬藩・母里藩が分かれ、合計で8家を数える。これらは後世便宜上、幕末期の各家の主な領地所在地の名称で分類され、本記事でも以下でその名称を用いる。

【比企総研代表高島敏明と御手杵の槍の繋がり】
比企総研代表の高島敏明は、松山陣屋藩士の子孫にあたる

【最も原型に近い御手杵の槍】